2012年 03月 11日
☆311・それぞれで☆
あちこちにいらして支援の活動の方も、
東日本にいらっしゃる方も
自分の生活でいっぱいいっぱいの方も
みんなみんな、日本中、不安ですよね。
そんな時こそ、やわらかく居たい。
批判しながらや、攻撃的なことは、たとえ正論だとしても伝わりにくい。
普段からからお傍の方を手伝っていましたか?
お年を召された方に、また、困っている方を気遣われていましたか?
今もそれは普通に続いていますか?
まわりの大事な方のことも日常も大事にしていたいですね。
震災支援の事で、一生懸命になるあまり
人を責めたり批判したりが
あちこちでおきたりしないようにいつも願っています。
この猫、もっと最近だと思っていた、
震災後の時期に作っていたんだ。
自分も不安だったのでこんな形になったかなぁ
ただいま、どんどん製作中です
差し上げたりしたい。

☆ネコ・よりそって、くっついて仲良し☆(2011年4月13日)
約11ヶ月、毎日毎日
休むことなく支援の作業に関わり続けてきている。
もともとが、この15年くらい、過去を均して
ゼロ地点にたどり着くべく自分を追い込む日々。
そこに加えてなので、日々の追われる感が更にプラス。
それでも関わらずにいられなかった。
東日本の震災は、被災地の事、
ではなくて私たちの日本のことだから。
人は無理しないでね、と声をかけてくれる
その気持には、ありがとう。
でも、もともとが平穏じゃない中、
無理をしなかったら何も出来ないのだ。
今日は、たくさんの方々が準備してきた
イベントが恵比寿で行われています。
頑張ってくれているイベントはみなさんにお任せして
今日はアトリエにて自分の担当作業、そして、
入ってきている仕事が間に合うかどうかなので
3倍速で奮闘中です。
支援のことはずっと、
私の出来るペースで精一杯続けて生きます。
昨年の3月11日
私はアトリエの机の下に入り込んで、
落ちまくり、割れまくるものたちを呆然と見ていた。
仙台にいる妹家族6人は、奇跡的にという感じで
それぞれ、無事でいることが出来たけれど、
しばらくの間、避難所に居て、
家に戻ってからもめちゃめちゃで、水道も電気も使えず、
雪を風呂桶に運んでお風呂に入るような生活がしばらく続いたそうだ。
震災の動画などは今でも怖くて見られない、とは仙台にいる姪の言葉。
東京にいた私でさえ、いまだに揺れると心臓がバクバクする。
2011年3月11日夕方にアップしたブログ記事。
☆地震・注意事項や情報☆
そしてここから、ずっと、震災の情報を
資料、ニュース、動画とも、探してチェックし続けた毎日。
後に、見ておくといいよ、など人があげるものは
ほとんどもうチェック済みだった。
そして、泣いてばかりいた。
世界が終わってしまうような気持だった。
日々、何か出来る事を・・と3月のブログはこんな感じ
★2011年3月の記事リスト
そして一ヶ月たった、この日
このグループの集まりに顔を出す。
☆「ふんばろう東日本」支援を生かせる一つの形☆(2011年4月11日)
そしてこのあと、4月21日にコアスタッフのK氏に
私に出来る事、のメールを出して、
問い合わせ対応を引き受ける。
そこからが私の
ふんばろう東日本支援プロジェクトでの活動の始まり。
現在までずっとずっと、日々続けています。
震災について書いていったまとめ記事のまとめ
震災関連
原発関連
☆原発・放射能がわかる・リンク集☆
そして、最近発刊になった2冊。
ふんばろう東日本支援プロジェクトの本。
「人を助けるすんごい仕組み」
「~被災地からの手紙 被災地への手紙~ 忘れない。」
印税もすべて支援金に使われます。
右にあるリンク からの購入だと、アフリエイト分も支援金に出来ます。
ふんばろう東日本支援プロジェクト
facebookなどの案内→☆
太平洋岸、三陸は、懐かしい場所。
松島、女川、南三陸、気仙沼・・
大船渡、宮古、野田と少しずつ北へ。
昔、相方と、七輪を、鍋を、寝袋を、
レンタカーに積んで、その場所場所での市場や朝市で
材料を買い、自炊し、車で眠る、そんな旅をした場所です。
志津川の漁船、松島の海辺、吉里吉里国 の駅
大船渡の朝市の紅ズワイ、野田のおせんべい・・・

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、この一年を大変な思いで過ごされた方々の日々に
思いを馳せ、これからも、引き続き動いていきたいと思います。

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by gaya-san
| 2012-03-11 15:10
| 思うこと
|
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