2024年 06月 04日
☆何から書いていいかわからない・でも時は刻まれていく☆
テューダーさんのこの本のこのページ
色々なことは実感となり、哀しみとの闘いとなり、
そして時は刻まれていく。
母とはターシャ・テューダーさんの展示にも一緒に行ったことがある。
百貨店の上層階の開催で、歩くのもつらい時だったので、私が並んでいて、
母をエレベーターで移動させていただいたのを覚えている。
百貨店の上層階の開催で、歩くのもつらい時だったので、私が並んでいて、
母をエレベーターで移動させていただいたのを覚えている。
自分の母親と同じように、
我が母を気遣ってくださった友人T様が
ターシャさんのカレンダーを贈って下さったこともある。
(T様は毎年のように、ステキなカレンダーを探して母と私に送ってくださった。)
(感謝しかない)
そして、その我が友人は
母に毎日到着するように、たくさんある枚数の
シリーズのポストカードを書き続けてくださったこともある。
そしてそして、母にある時、
花をお好きでいらした自分のお母様とお揃いで、と、
毎年毎日の植物画カレンダーを贈ってくださった。
北海道花暦
贈ってくださった日めくりカレンダーについて書いている日のブログ
↓
そのころは母もブログをしていたので母も書いている
↓
2010年 12月 31日
振り返って調べてみたら、14年も前のことになるんだ…
あれから、毎日毎日、母はずっとこの暦をめくっていた。
たくさんの日々のなかのブログにきりとられた写真にも
あちこちの日のカレンダーがある。
雛の節句だったり
父の命日だったり
父のバースデーだった日だったり
お正月だったり
いつも母の心を支えてくれていたカレンダーの花たち
そして贈ってくださったT様のお気持ち。
そこそこ、まだ気持ちも明るかった14年前から
だんだん歳を加えるにつれいろいろ哀しみも増えていった今まで
いつも傍にあって、見守ってくださったカレンダーと
贈ってくださったT様に、心からお礼を申します。
ありがとうございました。
このブログの、タグ "母" のところを
ずっと見返していた。
訪ねたり、誘いだしたり、たくさんの一緒に過ごした時間。
作ってあげた、服や、ランチマット、バッグやお財布やスマホカバーや
いろいろ、いろいろ…いろいろだ。
美味しいもの、行事の時も普段も届けたくて飛んで行った、日々。
耳が聴こえなくなってから、昔の母のレコードを聴かせたくて
買い求めた、骨伝導ヘッドホンのこと。
コーヒーメーカー、湯沸しポット…
歳を加え、思うようにならない身体の事も含め
様々な事に向き合いつつ、
自分との闘いの中、日々を生きてくれたここ数年の母のこと。
たくさんの日々があった。
それでも、孫もひ孫も見ることが出来、
孫たちにとっても母は特別な存在で事あるごとに
遠くに住んでいてもみんな顔を見せに来てくれて、
にぎやかな日もたくさん。
息切れしそうになってしまう母に、よく、
深呼吸、深呼吸、と声をかけたりしたっけ。
苦しいこと、つらいこと、哀しみ、不安、
諸々、山のように膨らんでいく中、
それを言葉に、弱音のようにすることなく、
文字に置いては、どうありたいか、命のこと、自分自身を見つめていた。
美しく心を保とうと、していた母。
見習うべきその、心映えにリスペクト。
私も深呼吸しよう。
母は2024年5月31日、帰幽いたしました。
95歳でした。
いつもお心遣いくださった方、ありがとうございました。
【ただいまのBGM】感謝 / ザ・フォーク・クルセダーズ
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ご冥福をお祈りいたします。 RIP
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
>鍵コメさん、ありがとうございます。
お久しぶりです。お元気かなと思っておりました。
いつかは来ること、と思っていたので、その時その時を
大事に過ごしてこられてよかったです。
一緒に展示を見せていただいた事もありましたね。
お久しぶりです。お元気かなと思っておりました。
いつかは来ること、と思っていたので、その時その時を
大事に過ごしてこられてよかったです。
一緒に展示を見せていただいた事もありましたね。
by gaya-san
| 2024-06-04 15:25
| 思うこと
|
Comments(6)